私の母親は、転勤族と再婚している。
今年また転勤になり、今より少し離れたところへ引っ越すことになった。
どうせ今だって新幹線の距離だし、そこから新幹線で30分くらい遠くなるだけだし、
近くにこないだろうことは予想できていた。
母が「せっかくなら住んでみたい」と話していた土地だったので、
私は「よかったね」と言った。
そうしたら母に、「あゆみは自分の気持ちより私の気持ちを考えてくれるのね」と言われた。
2・3週間ほど前のこの会話が、私はなんとなく心に引っかかっていた。
「別に、そういうつもりじゃないけどな」と思いつつ、
なんだかしっくりこないような変な気持ちを抱えていた。
ここで少し、昔話を。
私の母は、私が小5の時に再婚した。
当時、再婚相手は私たちの暮らす街から飛行機の距離に住んでいた。
(暮らしているのは北海道だったからほとんどが飛行機の距離といえばそうなんだけど)
結婚して遠くの街に行くのだと。今のように毎週会うことは不可能になるのだと。
両親が離婚して、父と暮らすのを決めた時も、母と会えなくなるとは思っていなかった。
今は週に1回しか会えないけれど、いつかまた家族3人、一緒に暮らせる日がくるかもしれない。
私はずっとそう思っていた。
だから再婚の話は私にとって青天の霹靂だった。
未来に持っていた希望もガラガラと崩れ去って、母と離れる辛さにも襲われて、
私はひたすら泣いているしかなかった。
それでも母は遠くの土地へと旅立った。
私はその時知った。
どんなに泣こうと悲しもうとどうしようと、どうしようもできないことがあるんだと。
昨日は、春分の日だったので、私は10年前の春分の日のことを思い出していた。
あの日、私は8年近く同棲していた彼に別れを告げられた。
彼が「あゆみが結婚できなくて行き遅れになったらどうしよう、ごめんなさい」と泣きながら謝ってきた時、私は「そうならないように努力するよ」と答えた。
彼ほど涙は出なかった。
暖かい日差しの中で洗濯物を干しながら、
母との思い出と彼との思い出が頭の中で交差した。
それでやっと、
「私は悲しんでいてもどうにもならない。」って思っているんだな、と気が付いた。
別れを告げられた時に、泣きまくってすがりつくことだってできたのに、それをしなかった。
しなかった理由は、彼が頑固で、決めた答えを変えることはないだろう、と思っていたから。
泣いても悲しんでも変わらないと思っていたから。
飼っていた愛猫が亡くなった時も。
悲しくて悲しくて泣きまくったけれど、私は子どもが生まれたばかりだった。
泣いても悲しんでも、愛猫が生き返ることはないのだ。
”今”を見なきゃ。”未来”を見なきゃ。
そうやって、やり過ごしてきたように思う。
祖父が亡くなった時も、祖母が亡くなった時も。
それが間違えている、とは思わない。
なにかしら、やることがあったり目標があったりする方が気分は紛れる。
ただ、そうやって頑張った自分のことを認めてあげたらよかったな、と思った。
もちろん、当時はそういう考え方を知らなかったから、できなくてもしょうがないんだけど。
悲しいのに毎日学校に行ったね、とか。
彼に心配かけないように彼の前で涙を流さなかったね、とか。
「前を向こう」って思えただけですごいね、とか。
辛いのに赤子の世話ちゃんとやっててえらいね、とか。
それに、もっと人に甘えてもよかったのかな、なんてことも思う。
誰かの前でわんわん泣くとか(小5の頃はそんな話ができる友達いなかったんだけども)
振られたんだよぉぉぉぉ朝まで飲むの付き合ってよぉぉぉぉ、とかね。
そういう、「誰かに頼る」ということができなかったように思う(忘れてるだけでしてるかもしれないけど)。
温泉行くとか、寿司食べるとか、お花見るとか美術館行くとか水族館行くとか、
アロママッサージ受けるとか美容室でフルコースみたいのやってみるとか、
めっちゃ肌触りのいい毛布買ってみるとか、
そういうことをしてみてもよかったな、と。
楽しめるかどうかは微妙だけど、「悲しみを乗り越えようとしている自分」「悲しみや辛さに耐えている自分」というのを労う、という発想も必要だったな、と。
単純に、「辛い、悲しい」と、もっとたくさん泣いてもよかったんだな、とも思う。