私はドレスが着たかった。

自分の気持ちを吐き出すために書いただけの記事だったのですが、
ぽつぽつと読んでいただいているようなので、
セルフカウンセリング風にリライトしてみました。(2023.4.1)


 

まだ2月なんですが、卒業式シーズンが近付くと、私の心はドロドロしてきます。
正確には、成人式の頃から、少しずつドロつき始めます。

「振袖」と「卒業式」。
この2つが、私の心をドロドロにしていくのです。

私の通っていた高校は、私服通学の高校でした。
そのため、卒業式では女子はパーティードレス(カクテルドレス?カラードレス?)や振袖、袴、と
とても華やかに着飾っていました。
(男子はスーツか袴、たまに仮装)

私もそんなキラキラの卒業生たちを見て、自分もドレスでかわいらしく着飾ることを夢見ていました。

ピンクのヒラヒラしたドレスを着て、頭にはキラキラしたティアラをつけるんだ。

しかし、卒業式が迫ったある日、私は母にこう言われました。
「貸衣装代なんて出さないよ」と。

「私が成人式の時に着た振袖があるから、それを着なさい」
母も、伯母も、祖母も、みんなそれに同意しました。

「ほら、ピンクだよ!」
と言っていましたが、メインの色はシルバーで、少しピンクが混ざっているデザインでした。
それはそれで素敵なものですが、正直私が理想とするデザインではありませんでした。

父には、大学の受験費用を負担してもらっていたので、そしてその金額で若干キレられていたので、
貸衣装代までお願いする気にはなれませんでした。

「貸衣装代を出してもらえない」という想定をしていなかった私は、バイト代も残っておらず…。
(携帯代と私服代と放課後の食費に消えている)

なので私は、卒業式に母の振袖を着ることにしました。

美容室も、なにやらオシャレな美容室で、と思っていたのに、
祖母が「知り合いの美容室に頼めるから!」と…。

もう20年近く前の話なのに、私は今でも本当に悲しくて。
正直この相談を書きながら涙がこぼれています。

私はドレスが着たかった。
今どきっぽい美容室で、時代にあったようなメイクをして欲しかった。
素敵なドレスを着て、くるくるに巻いた髪にキラキラのティアラをつけて、
「かわいー!」って言われたかった…。

私はずっと言えなかった。
「こんなん全然嬉しくない!!!」と。

嬉しくない。嫌だ。
そんな気持ちを言えなかった。

「私の着ていた振袖ぴったりだね~、似合うね~」
と喜ぶ母や祖母に、
「タンスの肥やしが活用できて嬉しいだけでしょ」
とはとても言えなかったし。

祖母の知人の美容室だって、朝早くから着付けとヘアメイクをしてくれた。
もちろんそのお金は祖母が出してくれている。
だから感謝こそすれ、文句など言える立場じゃない。

だけど、だけどドレスが着たかった。

学校についたら、仲良しの友人は袴だった。
「〇〇ちゃん(私)も振袖なんだね~(和服なんだね~、というニュアンス)」と嬉しそうにしてくれたのが、
少し救いになった。

でもやっぱり全然楽しくなくて嬉しくなくて、記念撮影も写りたくなかった。

学年で一番かわいいと評判のMちゃんは同じクラスで、
そんなMちゃんがドレスとティアラでど真ん中で変顔して写ってる。
その端に振袖を着た、もっさいメイクの私が写ってる。
そんな記念写真は見たくもなくて、もうどこにあるかもわからない。

卒業式の後に、どこかのレストランで謝恩会が予定されていた。
卒業生の大半は行ったんだろうけど、私は行かずに帰った。

嫌で嫌でしょうがなかった。
「こんなことになるなら、ちゃんとバイト代をためておけばよかった」と自分を責めた。
「他のみんなは当然のように貸衣装代を出してもらっているのに」と周りを妬んだ。
「自分は海外旅行に行ったりするのに私の貸衣装代は出せないんだね」と母を恨んだ。

卒業式の様子を見た母と伯母は、少し後悔したようだった。
彼女たちの高校は制服だったから、「卒業式にドレス」というのが想像できていなかったらしい。
私が突拍子もないことを言っているように思っていたんだろう。

「結婚式に着ればいいじゃない♪」
と言っていたが、私の結婚は20代では叶わず。
結婚式への憧れも薄くなってしまって、結局結婚式もやらなかった。
私は”純白のドレス”が着たい訳でもなかったから。

何度か母にネチネチと、「ドレスが着たかった」と言ったが、
「悪かったよ」と不貞腐れたように言われるばかりか、
時には「いつまでもそうやって私を恨むの!?」と逆ギレされるので、
私の中のドロドロは、なくなることなく今も胸の底に沈んでいる。

成人式の時期に、「家族で引き継がれてきた振袖を~」なんてニュースを見た時には、
ヘドが出そうな気持ちだった。
「振袖を仕立てて~」なんて話を聞くと、私のように着たくもない振袖を着させられる子がまた生まれるんじゃないだろうか、なんて思った。

別に、あの振袖に罪はないのに。
それでも二度と見たくないと思ってしまって申し訳ない。

私は成人式も出なかった。
出る必要性を感じなかったこともあるけど、復讐心が強かった。
「私は二度とあなたたちのために振袖は着ませんよ」という気持ちの方が強かった。

祖母が亡くなる前に、ウエディングドレスの写真を撮って欲しい、と母に言われた。
祖母に見せてあげたいから、と。
でも私は撮らなかった。

私は今でも苦しいのです。
いつまでも根に持っていて大人げない。
お金を出してくれた面もあるのだから感謝するべき。
親や家族を恨んではいけない。
悪気があったわけじゃないのだから許してあげるべき。
自分だって努力したり用意したりするべきだった、と。


 

“悩めるマーメイド”さんからのご相談でした。

ご相談には、「マーメイドさんがどうしたいのか」ということが書かれていなかったことが気になりました。
でも、文章を読んで私は「マーメイドさんはお母さんを許したいのかな」ということでした。
「許したい(許した方がいい)、でも感情がどうしてもついていかない」という点で葛藤してらっしゃるのかな?と思いました。

私は、別に10年経とうが20年経とうが、許せないもんは許せない、でいいんじゃないでしょうか。
でも、「許すべき」と思ってしまうのはどうしてなんでしょうね?
そこに、なにやらいろいろな”思い込み”が隠れているように感じます。

マーメイドさんがご自分で仰っている、
「いつまでも根に持っていて大人げない。」
「お金を出してくれた面もあるのだから感謝するべき。」
「親や家族を恨んではいけない。」
「悪気があったわけじゃないのだから許してあげるべき。」

これらの言葉、友達が言っていたらマーメイドさんはなんて言いますか?
「それホント?なんで?」「別に親とか家族だって恨むようなことされたら恨んでよくない?」
「悪気があろーがなかろーが許せないもんは許せなくない???」
そんな風に言いませんかね?どうでしょう?

これだけ長い間、この気持ちを手放せずにいるのは、
マーメイドさんが”自分の気持ちをずっと押し殺していたから”ではないかと思うのです。

マーメイドさんが卒業式の日に感じた悲しい気持ち、辛い気持ち。
ドレスを着ている同級生に対して感じた惨めさや羨ましさや妬ましさ。
その感情を誰かに話したりことはありましたか?

最後に。
私は思うんです。どうしてもドレスが着たかったら、
「ドレスじゃなきゃ卒業式出ない!!!」とストライキに近い脅しをかける、という作戦もあったんじゃないか?と。
または、金を出せ金を出せとしつこく迫るとかですね笑

マーメイドさんがそれをせずに、お母さんの振袖を受け入れたのは、
私はマーメイドさんの優しさゆえかと思います。
「振袖に罪はない」という言葉からも、マーメイドさんの優しい性格が感じられます。

ウェディングドレスの写真を、おばあさんの存命中に撮らなかったことで、
お母さまやおばあさまを悲しませてしまったと罪悪感を感じているであろうことも。
マーメイドさんは、ずっと親や家族の期待に応えるように努力なさっていたのではありませんか?
別に、他人の期待に応え続けなくてもいいと私は思いますよ。

自分でお金を用意できなかったことも、
家族の期待に応えなかった自分のことも、
いつまでも許せない自分のことも、
もう責めなくてはいいのではありませんか?

悩めるマーメイドさんこと、過去の私へのお悩み相談でした。

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